ご覧いただきましてありがとうございます。
大隈講堂での上映会広報を担当していた草間と申します。撮影では小川班の制作、須田班の撮影も参加させて頂いた上に、石川班の撮影も見学する機会に恵まれました。(それだけに吉田班の撮影を見学すらできなかったのは無念でした…)。
撮影後は広報に関するいろんなことをしていました。チラシのデザインの依頼、入稿、配布…。「今まで当たり前のように接していたあの映画もこういう作業の積み重ねで自分の元にやってきてくれたのか」という実感は部屋に何となく飾っていた映画のフライヤーの見え方を変えました。近頃、部屋の断捨離をしましたが、どうもフライヤーが捨てられなくなり、困っています。 今回は早稲田松竹という素敵な劇場であの時の作品が上映されるのは嬉しい限りです。この場を借りて、関係各位の皆さまにお礼を申し上げます。
さて、タイトル。これは一昨年映画にもなった『何者』の一節です。いかにも若年世代が好きそうなものにまんまとはまってしまった自分に「不覚っ!」という思いもしますが、「映像制作実習」で学んだことのひとつです。
夏から秋にかけて企画書やプロットを授業内で検討する時期がありました。実は4作品とも初稿から上映されるような形になっていた訳ではありません。何度も書き換えがありました。僕はあまり深くプロットや脚本に突っ込む立場ではありませんでしたが、班ごとに四苦八苦する姿を目の当たりにしていました。
ただ僕は何度も書き換わる脚本やプロット、そして上映版を観て、ホッとした気持ちにもなりました。それは完成し、お披露目できたというのもありますが、「最初から100点でなくてもいい。100点のために10点、0点を出してもいいんだ」と思ったからです。それまで僕は「外に打ち出していくものは最初から完全でなくてはいけない」と考えていました。
この授業を経て思うのは、外に打ち出した上に、大勢の眼にさらされる場にまで到達したことはとても立派なことだと思います。勿論、まだまだ学ばなくてはならないことは多いのは事実です。外に打ち出すことで目の当たりにしたお客様の反応や声、自分で見て何を思うか。それがまた次に外に打ち出し、更に飛躍する重要なステップです。「10点」や「20点」であっても外に打ち出さなくてはいつまで経っても「100点」にならないのです。
飛躍しますが、人生も「高得点」ばかり叩き出さなくてもいいのではないでしょうか。人生に浮き沈みは付き物ですし、やたら「成功」していたと思ってれば「どん底」に急転直下したり、またその逆も然り。異論を承知でいえば、「0点」いわゆる「敗北」であっても打ち出しているだけ僕は十分立派だと思います。様々な反応を受け止める覚悟と信念は必要ですが。
上映は映画の晴れ舞台です。監督にとっては様々な𠮟咤激励が初心になり、それが初志となっていきます。早稲田松竹までご足労頂いた折にはどうかあなたの思ったことを監督に明かして頂ければ、これほど喜ばしいことはありません。
以上、最近は藤井六段の棋譜並べが趣味の草間がお送りしました。