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石川 泰地

石川、改めて授業を振り返る。

黒澤明が1990年、米アカデミー賞で特別名誉賞を受賞した際、

スピーチの中で「私はまだ、映画がよく分かっていない。」と言った

というエピソードは映画ファンなら知らぬ者はいない有名な話ですが、

映画の世界に魅せられ始めた中学・高校の頃、細かくいつだったかはもう覚えていませんが、

このエピソードを聞いた僕はただ、謙虚だなぁ、すごいなぁ、と思っていました。

今思えばアホでした。

『亡霊は笑う』監督の石川が再び書かせていただきます。

謹賀新年です。

完成できんか知んねぇと言われた僕らの映画も

皆信念を持って真剣に取り組み続け、進展しました。

昨年4月から始まった映像制作実習の授業。

企画を考えプレゼンし叩かれながら直して、

有難いことに選んでいただいて監督に決まった6月。

それからプロット、脚本を延々と、ああでもない、こうでもないと半年間。

11月末まで悩み続けました。正直、撮影中も少しずつ変えていました。

撮影開始は12月11日。今年の4班の中でダントツで遅かったです。

僕はクランクイン3日前に39.0℃の熱と腹痛に襲われ、

なんとか病み上がりで初日の撮影を終えると、またぶり返してしまい、

ロケ地であるスタッフの家で看病してもらうという情けないこともありました。

12月27日、予定より撮影日が1日増えてのクランクアップ。

年末は比較的穏やかに過ごしました。

元旦から編集を開始。そして今尚、編集中です。せっせとやっております。

このブログは各班のスタッフや協賛などに動いてくれている人たちが交代で更新していて、

1周目、監督が書いて、2周目は大体他のスタッフが書くのですが、

僕が前回書いたのが18日で、これがまさに撮影の真っ只中でありまして、

撮影後、心身共に生気を失った状態で書いていたのであんな内容になりました。

いやーしかしM-1面白かったなー。

お笑い芸人が主人公の映画を作るということで、

元々好きだったお笑いの世界にさらに傾倒して、理解が深まったというのも一つの収穫です。

今やっと一段落して、編集を通して客観的にもなれてきた頃なので、

改めて僕から撮影を振り返る記事を書きたいと思い、2周目も書かせてもらうことにしました。

脚本で悩み過ぎてスケジュールが押しに押したことで

とにかく期限ギリギリの中での撮影だったということもあり、

スタッフの半数以上がこの授業の履修者で僕の班になった、

今まで映画作りというものに全く触れてこなかった人たちだったということもあり、

現場では一人一人あまり余裕がなく必死だったため、

現場写真、メイキングらしいものもロクに残っていないという状況です。

その中でもわずかに撮っていたものを紹介します。

反射防止のため目覚まし時計の銀の鐘に、助監督の私物のニベアを塗りたくる撮影部と美術部の図

孤独に環境音を録る録音部の図

徹夜の作業で疲れ果て、爆睡する助監督にケツの匂いを嗅がせる美術部の図

4月からの10か月間ほど、この授業の感想を一言で言うなら、辛かった……。

今まで映画サークルに3年間所属して、

まがりなりにも自主映画制作には関わってきた自分ですが、

今回ほど本気で映画を作ったことはなかったでしょう。

その結果、かくも映画作りというのは難しいのか……!ということを痛感しました。

難しい。難しすぎる。

これまでの人生で人並み以上には映画を観てきたつもりですが、

映画を観る時に使う脳みそと作る時に使う脳みそというのは全く違うもので、

いくら映画を観ても実際に作ってみないことには、絶対に映画作りは上手くならないし、

その真の姿は見えないとさえ思いました。

M-1を見てあのネタは良かった、つまらなかったなどと言うのは簡単でも、

実際に自分が漫才をやってみたら絶対に上手くできないでしょう。

それで思ったのです。

黒澤は「私はまだ、映画がよく分かっていない。」と言ったけれど、

自分はまだ「映画が分からない」などと言う立場にすらいない。

分からないどころの騒ぎじゃない。

まるで無限に広がる大海原のど真ん中に放り出されたような感覚でした。

辛かった、というのは映画作りという点においてのみに限りません。

映画を作る者として以前に、人間としての、

自分の甘さ、若さ、浅さ、至らなさを痛烈に感じざるを得ない体験の連続。

自分という人間の性(さが)との闘いでもありました。

どうしても打ち破ることのできない自分という人間の殻を

いかに打ち破れるのか、いかに受け入れるか、という葛藤。

しかしもちろん、辛いばかりではありませんでした。

現場でくだらない話をして笑うのも楽しかったです。

でもそれはあくまで表層的な楽しさであり、

スタッフ、キャスト一丸となって一つの作品を作るために戦っているということの

昂揚感、団結感、幸福感、達成感であったり、

映画作りというものを通じて、今まで交わることのなかった人間同士が繋がり、

友達というより仲間になっていくということ、

そして映画作りを通して、僕だけじゃなく多くのスタッフが、成長しているという実感、

そういったことが本当に楽しかったです。

僕からすれば共に戦ってくれた戦友とも思っている仲間たちと撮影終わりに飲む酒。

これが何より旨いのでした。

実際の撮影の現場には授業外の人たちも多くいましたが、

授業を履修してこの班になった人たちももちろん多くいました。

この班のメンバーは9人。

その内、今まで自主映画の制作に関わったことがあったのは僕含め4人。

残りの5人は今まで全く映画制作というものに関わったことがありませんでした。

撮影は全部で7日間だったのですが、

初日なんかはやはり、僕も含め全員の動きがたどたどしく手際も悪かったのが、

撮影を重ねていくごとにみるみるうちに成長しているのが目に見えて分かって

最終日に近付くにつれどんどん手際が良くなっていく姿は

非常に勇ましく、誇らしく、感動的でした。

班が編成された時、僕らの班はかなりのキワモノ揃いといった感じで、

正直に言うと、僕は当初頭を抱えました。

大丈夫か……やっていけるのか……。

でも撮影が終わって今は正反対です。

月並みな表現ですが、この人達で良かったと、心から思いました。

こんなに楽しくて頼りがいのある人たちはいませんでした。みんな、大好きだぜ。

ただひたすらド真面目に制作を振り返りました。

大して面白味もなくすみません。

別に教員ウケを狙ったとかそういうんじゃありません。ホントです。

色々な人に迷惑をかけたり、心配させたり、色々な大人に怒られたりしながら、

戦い抜いた10か月間。

まだ解放されちゃいませんが。編集、頑張ります。

改めて、この作品を制作するにあたって、関わってくださった、見守ってくださった、

全ての方々に感謝します。本当にありがとうございます。

辛さも楽しさも全て勉強になりました。

4月の僕から少しでも成長できているのだとしたら嬉しいです。

最後に、元々今回の記事を書く予定だった助監督の奥林からです。

"初夢が、撮影でテンパる夢でした。『亡霊は笑う』助監督のオクバヤシです。 初夢の如く、撮影期間は自身が混乱してばかりでしたが、

なんとか撮影を乗り切ることができ、感謝感激雨あられです。"

僕とのテンションの差が激しいです。

ちなみに僕も最近は脳にAdobe Premiere Proがインストールされたようで

夢の中でも編集しています。起きても進んでいないのが悲しいです。

お読みいただきありがとうございました。

石川 泰地

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